|
鰊漁の残像:
番屋の撮影は特別な知識もなく突然の閃きで始めたものですが、実際に目にする番屋はどれも個性的で美しい姿をしていました。しかもその巨大な姿が違和感なく海辺の風景に融け込んでいて魅せられました。
撮影を始めるとどんどんのめり込んでいきましたが、それでいてもの足りなさがいつも頭にありました。<番屋の全盛期に、そこで働く人たちの中に入って写したかった>というカメラマンなら当然の願望です。
撮影した時点で、すでに鰊の群れが海から消えて20年以上も過ぎていて、鰊漁はとっくに消滅していましたから、いってみれば私は「現場に遅れてかけつけてきたカメラマン」だったのです。
しかも番屋をもう一度使う日がくるなどと、もうだれひとり思ってはいません。人気のない辺鄙な海辺に建つ番屋は、ほかに転用されることもなく、そのまま打ち棄てられたままになっていました。私はそんな無人の番屋を探し歩いては、<全盛期に写したかったぜ>といまひとつ満たされない気分で廃屋に足を踏み入れ撮影したものです。
ところが棄てられた番屋の撮影を重ねるうちに私の想像力は鍛えられ、番屋とその周辺に往時の人々の息づかいを感じとれるような気にもなってきました。
風雪に耐えかねて壁を失い、屋根を失い、風化していく番屋を撮影しながら、私は日本の沿岸漁業史上最大の規模を誇った鰊漁の最期を記録しているんだと意識しました。絵になる現場には遅れてしまったが<写すべきものがまだ残されていた>そう思えたのです。
新聞写真やテレビ映像のように「ピークを撮ればそれですむ」、そのような一過性のものとは別な報道写真の道があることを、私はこの番屋の撮影を通して知りました。カメラマンとしてスタートしたばかりのときでした。そしてこの記録は写真集『日本のにしん漁』として上梓することができました。
|